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21 慶隆、京都・妙心寺より半山和尚を招き慈恩寺開基 このことはすぐには達せられませんでしたが、1606年(慶長11年)半山(はんざん)和尚は、はるばる郡上八幡に下られ赤谷の地に「鍾山(しょうざん)慈恩護国禅寺」を開基されました。 この慈恩寺建立の前年(慶長10年)、残念にも一豊公が61歳で死去してしまわれました。 悲しみに暮れた千代夫人は、直ちに剃髪され妙心寺より見性院(けんしょういん)という法号を送られました。 その翌年、京都の大通院の近くへ移られ、幼くして亡くした与祢(よね)と夫・一豊公の菩提を一心に弔われました。 この千代夫人をお助けしたのが大通院へ入っておられた、あの千代夫人に育てられた「お拾い」様、すなわち湘南和尚(しょうなんおしょう)でありました。
 
慈恩護国禅寺