山内家の「古今和歌集」郡上領主東常縁(千代の先祖直筆

作  品  名  時   代 渡した人 渡された相手 筆写人 摘      要
1 古今和歌集 1617 元和3年 見性院 山内忠義
(2代藩主)
不明 御形見とし湘南和尚を通じ渡す。以下をまとめて渡した可能性あり。
2 徒然草
1 小倉色紙の掛幅 1669 寛文9年 山内忠豊
(3代)
4代将軍徳川家綱 藤原定家 定家の孫娘は東胤行と結婚
2 古今和歌集 1700 元禄13年 山内豊房
(5代)
5代徳川綱吉正室(御台所) 冷泉為秀 定家曾孫・冷泉為相の子
3 古今和歌集   〃   5代徳川綱吉生母桂昌院 東常縁 古今和歌集研究第一人者。美濃郡上領主宗祇法師に古今伝授
古今集 1706
宝永3年 山内豊隆
(6代)
5代徳川綱吉室鷹司氏(御台所)
冷泉為相 定家の孫。父は為家
母は「十六夜日記」の阿仏尼
朗詠集
6代徳川家宣室近衛氏(御簾中)
二条為宗 為宗という方はどういう人か。
ご存知の方はお知らせください。
6 古今和歌集 巻第二十(高野切本) 2004 平成16年 山内豊功
(19代・現当主)
高知県(橋本大二郎知事) 不明 国宝。宝物史料3万6千点を寄贈。
高野切本は高知県へ7億円で譲る。
見性院様御病気御大切、料紙箱・古今和歌集徒然草・けったんの不ばこ、御形見として忠義公へこれを進む。
松平民部大輔豊房襲封を謝して、・・御台所に冷泉大納言為秀卿筆古今集、三丸に東下野守常縁筆同集を捧ぐ

 この一覧表で、土佐山内家の一連の古今和歌集は、見性院がまとめて持参し2代藩主・山内忠義に形見として渡したことも考えうる。
なぜなら、
見性院の母・友順尼(遠藤盛数妻・実は東常縁のひ孫)は和歌の大家・東家の直系の東常慶の娘(初代・東胤行の妻は藤原定家の孫娘)であるからである。彼女と付け人・埴生太郎左衛門を通じて見性院に(遠藤家に滅ぼされた)東家の先祖伝来の家宝の古今和歌集が渡され、それを見性院が所持したと考えられないか。藤原定家の小倉色紙にも注目! ↓(下へつづく)
 
 なお、友順尼の娘
(遠藤盛数の娘・遠藤慶隆の妹)は山内一豊の妻・見性院となったが実の名前はわからない。妙心寺の大通院門前の「まつ」は家老の五藤為重に嫁した若宮氏女(左馬助)であるから、違う。
 2代藩主・山内忠義の生母・水野氏女の名は「千代」であるから、これが一豊の妻の見性院(忠義の義伯母、のちに忠義は一豊夫妻の子となるので義理の母)の名と混同したとも考えられる。あるいは、偶然にして2人とも「千代」だったのかもしれない。
 
「へそくり」で名馬を買い夫の出世に役立たせた話といい、400年後の今回の国宝譲渡騒ぎといい、なおその名が取り沙汰され出自も隠された不思議な夫人の謎解きは、その母(友順尼)が郡上東氏の直系の娘さんというルートで解明されたのではないか。
 
 これら「古今和歌集」は、美術品としての価値に加え、「軍資金」にも変わりうるものであった、との指摘を若宮修古館長(郡上市)から受けた。中世の武人は茶の湯・和歌をたしなみ、茶室にかける古筆切紙は珍重されたのである。
 蛇足ながら、東常縁は斉藤妙椿に奪われた郡上の篠脇城を京都で十首の歌で取り返したエピソードを持つ。これは、のちの司馬遼太郎氏をして、「彼は日本歴史史上最も高い原稿料を稼いだ」と言わしめた。(郡上市・「古今伝授の里」にその碑が立つ)                                                         
                                               2005年4月9日  川上朝史

追録 : なお、郡上八幡の安養寺には、上記4の冷泉為相、
藤(原)為相筆の「伊勢物語」がある。安養寺は遠藤家と姻戚関係がある。

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